金物師
金物師とは、建築金物、扉の蝶番や飾り金具を作る職人のことです。
金物師は、木の継ぎ目や木口の木材が割れやすい所の補強の為に金具を打っていました。
それだけでは、味気ないと金具に模様を入れて作り始めたのが金物師です。
金物師
鍛冶職
鎌倉時代
一般的には、「炉」を備え、鞴、金床などの設備を有しており、鉄の鍛造を行う職人のことで、鉄製品全般を扱い、刃物、金槌、鍬などの製造販売、修理を行う。
鑄師
室町時代
鑄師とは、厨房用の日常品の製作を職人のことです。
その中から、銅鐘や仏具等を手作る職人も出現しました。
金物師の歴史
奈良時代
平城京造営や東大寺、興福寺等の社寺建築に多くの金物が使用され、飾り銅細工、建築銅金物など奈良特有の伝統を生みました。
仏教の隆盛とともに寺院や仏像が相次いで造られる、それに伴って金工技術も著しく発達しました。
平安時代
平安京造営に於いても、多くの飾り金物、建築金物が使われました。
また、仏教や神道をはじめとする様々な宗教活動も盛んになり、においても、多くの宗教用具や神仏具金物が製作されました。
鎌倉時代
「炉」を備え、原料から素材を作る「精錬鍛冶」と製品を作るためにおこなう「鍛錬鍛冶」がおこなわれていた。
鉄の精錬技術が確立され鍛冶職という、専門職が発生し、刀や釘等が製造されていた。
室町時代
室町時代になると、鑄師による銅鐘が、造られました。
京都市の中心部「釜座」で、鑄師が集団で工房をかまえていました。
この頃、中国から、異質の色合いをもつ花瓶、香炉や燭台などが伝わり、わが国の金工に影響を及ぼすこととなりました。
戦国時代
製造する鉄製品に合わせて専門の鍛冶屋が出来る。
「刀鍛冶」や「鉄砲鍛冶」は、武器の生産を専門に行う職人です。
多くの場合、職人は、城下の一角に集められ、大名や武士の注文に応じた武器を製造していました。
その名残として、各地に「鍛冶町」の地名が残っています。
また、包丁や農具、漁具、鉈、茶道具などを手がける鍛冶屋は「野鍛冶」と呼ばれました。
桃山時代
桃山時代になると、京都の釜座には鋳物師数家が軒を連ね、鍋や釜など日常用品とともに鏡なども作られました。
また、この時代には武器や甲冑、刀剣などの装飾がめざましく発達し、その技術は江戸時代へと伝承されていきました。
江戸時代
江戸時代になると、生活日常用品や大工道具、農工具を作る金物鍛冶(かじ)が多く存在しました。
製作する金物の種類により、専門の職人が作り出されました。
鍛冶屋も作るものによって、「前挽鍛冶」と「スキ鍛冶」と「野道具鍛冶」と区別されました。
「野道具鍛冶」の中から、鉋・鑿・庖丁などを専門に作る「鍛冶屋」と区別されました。
様々な専門職を各地に誕生させました。
この時代、金物問屋や仲買問屋が発生し、現代のような流通形態が出来ました。
金属工芸の種類
鋳金
鋳金はいものとよばれ、溶解した金属を鋳型に流し込んで造形する技法で、主として仏像や梵鐘、茶道具、美術工芸品などに用いられる。
鍛金
鍛金はうちものともよばれ、金属を自在に延ばし、縮め、立体的に造形する。
鋳金に比べて軽く仕上がり、主として器などを製作する。
彫金
彫金は別名ほりものといわれ、金属板に模様を彫ったり、浮彫にしたりする技法である。
錺金(かざりかなもの)
錺金は、建物や仏具などの装飾に使われている金物のことで、錺金物といいます。
象嵌
象嵌は、金属に金や銀、赤銅などをはめ込んで模様を表現する技法を指す。
七宝
七宝は、金属の素地にガラス質の釉薬を焼きつけて装飾する技法で、釉薬の種類によりさまざまな発色をするのが特徴である。
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